月の裏側 6/7



ネコの勇平。

弟「あ? また玄関にサンダルが増えてる!」

公平が帰ってきたようだ。

弟「母ちゃん、サンダル」
母「私はサンダルじゃないよ」

公平は言うのをやめた。
ムダにムダを重ねるだけだ。

そして、
また仏像になった。

ムダなカロリーを消費しない手段なのか?

仏像のまま、
無言で袋を差し出した。

母「ちょっと運動したから腹も減って…っておい!」
弟「500円しか渡してないんだから文句言うなよ」
母「おにぎり4個って。うわっ、マヨネーズ系ばっかり。おかかとか梅干とか、おにぎりならおにぎりでバリエーション持たせなさいよ」
弟「それしかなかったの。文句あるなら自分で買いに行けよ」
母「罰として夕飯抜き。いや、おにぎり抜き」
弟「おいおい」
母「食べたかったら、勇平連れてきな」
弟「無理。あの世だもん」
母「そっちじゃなくて」
弟「そっち?」
母「ネコの方」

仏像の顔が歪む。

母「ネコの方」
弟「・・・つっこまねえ。ケガしそう」
母「成長?」
弟「いやいや」

母さんは袋からおにぎりを取り出し、
公平に向かって投げた。

思い切り。
2個まとめて。

それぞれ、
明後日の方角に飛んでいったおにぎりたち。

片方は何も入ってない花瓶をなぎ倒し、
もう片方は壁で豪快にクラッシュした。

弟「…バカなのか?」
母「バカだと?」

自分のおにぎりにも手をかけたが、
ちょっと考えて投げるのをやめた。

弟「…あのさ。母ちゃんはおにぎり食っていいのか?」
母「腹減ったもん」
弟「明日じゃなかった?」
母「何?」
弟「飲むんだろう?」
母「は?」
弟「カメラ」

母さんは解りやすく聞こえないフリをした。
聞いたことのない鼻歌を口ずさみながら。

弟「ちゃんと検査の紙読んどけよ。普通、前の日は食事抜くもんだぞ」
母「公平」
弟「ん?」
母「見逃してみないか?」
弟「無理。それでなくても、なんか数値的にどうたらだからどうとか。カメラ飲んどきましょうかー的な流れでなんとか」
母「解ってないだろ?」
弟「とにかく。だから。ちゃんとやろうよ」

聞いたことのない鼻歌がサビっぽくなり、
おにぎりの包みを開け始めた。

弟「こら! ちゃんと検査の紙読めって。どこおいたの? 寝室? 仏壇の前?」
母「…言うなよ」
弟「ん?」
母「解るだろ?」

かわいくない公平の頭は、
残念ながらカチカチだ。

弟「おにぎり食べたこと?」

母さんは深いため息をつく。
聞いたことのない鼻歌のエンディングとともに。

弟「違うの?」
母「寝室。たぶん仏壇」
弟「なんだよ。違うなら違うって言えよ。その鼻歌、何?」

おにぎりを拾いながら、
公平は寝室へむかった。

弟「…母ちゃん」

母さんは包みを開け終え、
のりを引っぱり出そうとしている。
 
弟「姉ちゃんには言え」

やっぱりカチカチだ。

弟「母ちゃんが言えないなら、俺から言うぞ」
母「言う必要ない」
弟「あるだろ。姉ちゃんは…」
母「なんだよ?」
弟「…姉ちゃんなんだから」
母「…何だそれ?」

私が家を出た日、
母さんは見送りにこなかった。

それでいいと思った。

公平は、
私からちょっと距離をおいて付いてきた。

駅のホームに立ってたら、
なんか涙が溢れてきた。

止まらなくなって、
私はずっと泣いていた。
 
あんなに嫌がってた家から出ていけるのに、
うれしい気持ちにはならなかった。

牛舎の匂いが漂うホームで、
公平の存在なんか忘れて大声で泣いていた。

きっとあの時の公平には、
私が何で泣いているのか解らなかっただろう。


弟「姉ちゃん」

ん?

弟「あの日。家に戻ったらさ」

うん。

弟「寝室から鼻をすする音が聞こえたんだよ」

初めて聞いた。

弟「もう怒れないからさ。言ってもいいっしょ」

怒られるよ。
あっち行ってから。

弟「まあ、だいぶ先だし」

覚えてないか。

弟「なんか、電車から泣きながら降りてきた姉ちゃん見てさ。あの日のこと思い出した」

景色がね。
変わってなさ過ぎて。

弟「変わんないよ。全く。嫌になるくらい。変わらない」

駅のホームで泣いたのは、
結局2回。

乗るときと、降りるとき。

年齢も違うし、
季節も違うけど。

私は泣いて、
公平は見ていた。

それは変わらない。

それも変わらない。


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