月の裏側 3/7



かわいくない公平。

弟「何で、鮫島さんのネコの話から、俺がバイト首になった話に飛ぶんだよ。しかも、何の脈絡も無く」
母「さあ?」
弟「電話して3分も経ってなかったぞ。そのままネコの話どっかいっちゃうし」
母「盗み聞き」
弟「は?」
母「盗み聞きなんて、盗人のする事だよ」
弟「聞こえる距離なんだよ。家が狭いから」
母「お前が無駄にでかくなっただけ」
弟「無駄に?」
母「勿体無い。元気なのに。身体を持て余してる。勿体無い」
弟「うるさい!」
母「悔しかったら家賃を入れなさい。人として」

公平の顔が一瞬で仏像のようになった。
半開きの目の奥から光が消える。

母「そのうち帰ってくるでしょ」
弟「は?」
母「そのうち」
弟「何が?」
母「は?」
弟「は?」
母「カチカチか? 頭。若いのに。カチカチか? だからクビになるのか。カチカチクビだ。チクビだ」
弟「略し方!」

若いのに頭がカチカチの公平は今年25歳。
最近、フリーターからニートになった。

バイト先のレンタルビデオ屋で、エロいDVDを延滞3ヶ月して金を払わずに済まそうとした客を…

ぶん殴ったらしい。

拳で。

クビで済んでよかった。
逮捕されなかっただけましだ。

弟「姉ちゃんは昔、田舎ヤンキーと付き合っていた」

は?

弟「そいつに影響されて、髪は内側にぐるんぐるん。妙に長いスカートを履いていた」

殴るよ!

弟「殴りに帰ってくるのか? 帰ってこれるのか?」

もう2年は実家に帰ってない。
理由を挙げればたくさんある。

仕事が忙しい。
遠いし、田舎だし。
日帰りもできない。

電車は1時間に1本だし。タクシーのことを皆ハイヤーって言ってるし。

駅の前に牛舎があるし。
地元の名産品がバッタだし。

母「イナゴ」

冬は寒いし。
人が隠れるくらい雪は降るし。

母「イナゴ」

電車のドアは、
冬の間自動じゃなくて手動になるし。

母「イナゴの佃煮!」

勝手に入ってくるな!

その辺からこっちは入ってくるな。
距離舐めんな。地図舐めんな。時差舐めんな。

弟「時差は関係ない」

お前も入ってくるな。
換気扇の前でハイライトでも吸ってろ。

弟「違うよ」

ん?

弟「今はマルボロ」

変えたの?

弟「ハイライトは母ちゃん」

は?

弟「俺と一緒に、換気扇前ハイライトで発泡酒だよ」

母さん?
禁煙はどうしたの?

母「…」

母さん?

母「こっちからそっちは入ってくるな。そっちからこっち系で全て賄え」
弟「意味解らん」
母「お前なんか生んだ覚えない」
弟「悔し紛れにとんでもない事言ってんじゃないぞ。ちゃんと覚えてろよ。こっちは覚えてないんだから」

誤解を恐れず言おう。

母さんという人間は、
一般社会で言えば・・・

割とダメな方の人だ。

これでもまだオブラートに包んでいる。

言動はがさつだし、
親らしいことは一切しない。

ただ、妙に人を油断させる。

くしゃっと笑う顔のせいなのか、
よく通る笑い声のせいなのか。

油断させ、好かれる。

だから、
上手いこと渡ってこれた人。

そんな人。

そして、父さんがいたから。

母さんは、
母さんでいられたのだと思う。

 
 
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