月の裏側 4/7



そんな人の母さん。

14年前に、父さんは肺癌で死んだ。

父さんはまだ若かったしタバコも吸わなかったから、
親戚は母さんを責めた。

母さんはそれ以来、月1ペースで禁煙をしている。

一応、良心はあるようだ。
でも、それっきり親戚付き合いはなくなった。

母「今日はどこのコンビニにしようか?」
弟「あ?」
母「この時間じゃねえ。スーパー黄金屋はしまっちゃったしね」
弟「長電話してんじゃないよ。それに、コンビニ。この近くに1軒しかないだろうが」
母「座光寺の先に」
弟「3キロ。あっこまで3キロあるから」
母「じゃあ、いつもの所で」

母さんは電話台の引き出しから、
500円玉を取り出し公平に放り投げた。

弟「カネを投げんな。…多分、足りねえ」
母「頼んだ」
弟「ニートたかってんじゃねえぞ」
母「パートなめんな」
弟「意味解んねえ」
母「お前が出て行ったところで、私は痛くも痒くも」
弟「行ってきます」

公平は母さんと暮らしている。

でもそれは自分の意思ではなく、
1人暮らしするスキルがないだけかもしれない。

母さんの息子。
そういうことなのかもしれない。

母さんはキッチンでタバコを吸っている。
他の部屋じゃ吸わない。
換気扇の前だけ。

それでも…

父さんの葬式の時、
母さんは親戚に睨まれながらつぶやいた。

母「…家が狭いから?」

私の目線に気づくと、
くしゃっと笑った。

いつだっただろうか?

黄色いピースから、
ハイライトにしたことを報告されたことがある。
自慢げに。

あんまり変わってないことを母さんは解ってない。
母「ん? 鮫島さん?」

ん?

母「ネコ?」

母さんは勝手口から飛び出していった。

どっち?
どこ行くの?

どこ…
これは現実?
それとも記憶?

想像?

どれでもいいのかな?

どうでもいいのか。

母さんは、
父さんに何にもしなかった。

料理も洗濯も掃除も。
それでも父さんは何も言わなかった。

何も言わずに、
全部父さんがやった。

一番風呂も母さんだったし、
新聞も一番に読んだ。

父さんはただ微笑んでいた。

微笑んで風呂の掃除をして、
新聞のお金を払っていた。

1つだけ。
たった1つだけ。

タバコはキッチンで。
黒く汚れた換気扇の前でだけ。

それが優しさかどうかは解らないけど、
母さんの思いは届かなかったって事なのだろうか。

正直。

あの家にあんまりいい思い出はない。

私にも公平にもお袋の味はないし、
勉強した覚えもない。

いつだってバラバラだった気がする。

父さんがいなくなってからは特に。

私たちを繋ぎとめる何かがなくなった。

あの頃は、家も母さんも嫌で嫌でしょうがなかったけど。

今思い返すとなんか懐かしい。

壊れた鳩時計も。
変な般若のお面も。
おじいちゃん達の写真も。
東京のおじさんの置いていった車も。

今も変わらないのだろうか?

確実に、私は変わった。

目の前にはビールの缶が2つ。
ここ数ヶ月体重計には乗っていない。

携帯には20分おきに元彼氏…

今のところ、
まだ彼氏からの着信。

キッチンをのぞくと母さんがいて、
白い煙が換気扇に消えていく。

父さんがいなくなってからかな。

その背中が、
ちょっと小さく見えるようになったのは。


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