ふるさとは遠くにあって思うものらしい。
弟「遠いから少しは優しくなれるのかもしれない」
母「自分の周りには、新たな些細なものが溢れているから」
どうでもよくなるのかも。
弟「余計なものが遠くに霞んで」
母「大事なものだけが見えるのかもしれない」
それでも、一旦近寄れば。
弟「些細なものがまた溢れて広がって」
母「きっとまた同じことを思う」
ふるさとは遠くにあって思うもの。
弟「変わっていくことから目を背けて」
母「いつか後悔することにも蓋をして」
見えない月の裏側も、
本当はそこにあることを私はちゃんと知っている。
それは『いつも』の繰り返し。
何度『うん』と『はーい』と『じゃあね』と『切るよ』を言えばいいのだろう。
公平にあほって伝えて。
そう言ったら、やっと笑って話が途切れた。
その隙間に、私はまた4つの単語を詰め込んで電話を切った。
心の奥底からため息が漏れる。
携帯の通話時間は1時間20分を過ぎている。
こっちから掛けた訳じゃないから、料金の心配はしなくていいのだけど。
それにしても、『いつも』話が長い。
私はほとんど聞いてただけ。
8割以上向こうのお喋り。
そして、話に内容が無い。
何の話をしてたのかすら、
覚えてないってどういうことだ?
記憶の糸を手繰ってみると…
そうだ。
隣の鮫島さん家のネコがいなくなったんだ。
それだってたいして珍しいことじゃない。
しょっちゅう。
ほとんど毎日。
1年に330日くらい。
で、何もなかったようにネコは帰ってくる。
ほとんどの人は、
それを『散歩』と呼ぶ。
散歩中のネコを探すほど、
ムダなことがあるのだろうか?
鮫島さん曰く、旦那さんが亡くなってからは、
ネコが唯一の家族とのことだ。
大事な大事な1人息子とのことだ。
それなのに、
ネコに名前をつけてない。
鮫島さんはネコを『ネコ』と呼ぶ。
『ネコ』はネコだと正論ぽく喋る。
意味が解らない。
その度に合ってない入れ歯がカクカクと揺れ、
他人を不安な気分にさせる。
『ネコ! ネコや!』と。
散歩中のネコを追う鮫島さんを、
1年に330日くらい見かける。
地元を離れて随分になるが、
未だに追いかけているようだ。
そのうち帰ってくるのに。
なぜか数年前から、
母さんもネコを見かけると捕まえようとしている。
ムダにムダを重ねている。
なぜかは聞かない。
聞いたって、さらにムダを重ねるだけだ。
ん? それがどうやったら1時間20分になる?
ネコの話なんて最初の何分かだけだ。
それに、私に聞いたところで解る訳もない。
何の話をした?
違う。
聞いてた?
記憶の糸を手繰ってみると。
公平か。
うん。公平だ。
弟「で? 姉ちゃんは元気にやってんの?」
母さんは無言で公平を見ている。
弟「なんか付いてる? 母ちゃん?」
母「あほ」
弟「なっ?」
母「『伝えろ』って。さやかが」
弟「それは伝えなくてもいい『伝えろ』だぞ」
母「…忘れた」
弟「は?」
母「元気なのか、聞くの忘れた」
弟「ボケた?」
母さんは手元にあったみかんを投げた。
公平は上手いことよけたが、はずみで柱に肩をぶつけた。
それを見て、母さんは満足そうに笑った。
弟「痛。…っていうか、何の為に電話かけたのよ?」
母「まあ、さやかも何にも言ってなかったし。聞かなかったし。病気なら病気っていうだろ?だから、まあ、なんだよ。またそのうち」
弟「いいのか? そのうちで。明日だろうが?」
母「大きなお荷物が、偉そうに母親に説教すんじゃねえよ!」
そういって、またみかんを投げる…フリをした。
みかんは投げなかったが、公平はまた柱にぶつかった。
弟「痛。…肩と …心と …拳が痛い」
それは『いつも』の繰り返し。
今と昔と未来の真ん中で。
私は知らないフリをする。