月の裏側 5/7



まだ彼氏。

彼「何か、太った?」

そう言えば、仕事場の同僚はほとんど嫁いでいった。
残ったのは私と45歳でバツイチのヒロミさん。

彼「太った?」

ヒロミさんは『もう男は要らない』と言っている。

彼「何か、会ってないうちに太った?」

私はまだ言えない。
言いたくはない。

彼「何か、何か、何か、太った?」

『何か』と『太った』しか言えないのか!?

彼「さやかが答えないから」

答えるわけないだろ!

『太った?』って聞かれて、
『うん、太った』って答えるのか!?

彼「答えてもいいやん」

まず、お前の電話には出てないからな。

彼「出ないねー」

出ないよ。

彼「俺、かけてるねー」

20分おきだよ。

彼「暇だねー 俺」

アキノリという男。

近所の隠れ家的な居酒屋で、
料理を作っている。

ちょっと軽くて、
わりともてる男。

それを解ってるから、
ちょっと性質が悪い。

まだ彼氏。

彼「…俺、暇なのかな?」

知らないよ。

彼「知らないの?」

知るわけないでしょ!

彼「病気とかだったらどうする?」

は?

彼「カゼひいたり」

自分で治せばいい。

ていうか、

お世話してくれそうな人いっぱいいるじゃない。

彼「俺はさやかに電話してるんけど」

だから…

彼「俺の気持ちって、どこに放置されてる?」

…どこだろう?

どこだか解らないけれど、
ちゃんと答えられそうにない。

どう答えても、
放置でしかないのだから。

彼「…出ないの?」

出ないよ。

彼「出ないねー」

なのに、
何で、
出てくる!

お前は!

彼「俺に聞く?」

は?

彼「俺に聞くなよ」

真剣な顔でこっちを見ている。

この人、
こんな顔してたっけ?

もう随分と会ってない。
ケンカしてどのくらいになるのだろう?
その前だって、そんなに頻繁に会ってたわけじゃない。

すれ違ったまま、
もう取り返しのつかないところにきている。

それは、
なんとなく解っているつもり。

違うか。

解ってはいるけど、
解らないフリをしている。

そういうことか。

誰かのせい…

たぶん、
アキノリのせいにして。


だから、出てくるのかな?

彼「出ないの?」

出してるのかな。

母「あーもう。あーもう」

母さんが玄関から戻ってきた。

そんなことするから、
いつもサンダルが玄関に溜まるのだ。

母「ネコめ。卑怯者め」

ネコだったようだ。

母「者じゃないか。卑怯・・・ネコ」

何だそれ。

母「塀の上ばっかり逃げんのよ」

何で追いかけてんの?

母「鮫島さんが探してるから」

そのうち帰って来るでしょ。

母「まあ、見かけたら捕まえるわよ。捕まえようとチャレンジするわよ。見かけたんだもの。捕まえたことないけど。いつか捕まえてやるわよ」

モチベーション高いね。

母「なのに、卑怯なのよ。逃げるのよ」

そりゃ追えば逃げるでしょ。

母「塀よ。塀」

知らないよ。
あのさ、名前付けたら。

母「ん?」

名前ないから呼んでも振り向かないんじゃ。

母「なるほどね」

いい加減に名前をつけてって、
鮫島さんに言いなよ。

母「アラン・ドロン」

渋い。

渋いけど母さんがつけたらダメでしょ?
鮫島さんのネコだから。

母「栄子」

それは鮫島さんの名前ね。

母「公平」

ネコに息子と同じ名前付けるのか?

母「じゃあ、勇平」

それは父さん。

身近な人の名前はやめなさい。
あとあと面倒になるから。

母「…勇平」

は?

母「いいね」

決定?

母「勇平って感じなのよ。あのネコ、父さんより勇平が似合う」

40年近く勇平でがんばったのに、
ネコに負けるなんて。

母さんは人の家のネコに、
父さんの名前をつけた。

あれはいつのことだっただろう?

いろいろ混じってるけど。
あの時、私はあそこにいた。

あの部屋で、
戻ってきた母さんを…

ちょっと軽蔑した目で見てたんだ。

ネコが勇平になった日。

私はまだあそこにいた。


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