Prologue 3/7



熱じゃないということは…

七 「幻だと思ったわよ。私だって。ああ、疲れてるんだなって。毎日、毎日、パソコンに向かって。毎日、毎日、人のお金計算してたら。こんなに疲れるんだなって」

強めに膝を叩く。

七 「幻見るぐらい疲れてるんだなって。やっぱり仕事やめて正解だったなって。再就職大変かもだけど、これでよかったのかもなって。だって、こんな幻見るくらい疲れてたんだなって。…でも、ほら、これが…」

七、CD-R を掲げる。

中 「七は CD を手に入れた」
永世「だから、ゲームか?」

中と七、永世を見る。

永世「…なんで、俺を見る?」
中 「どういうことだろう?」
永世「なんで、俺に聞く?」
七 「お姉ちゃん。解らない」
中 「お姉ちゃんの彼氏も解らない」

いわゆる、
ムチャぶりというヤツである。

しかし、永世にとっては自分の才能…

趣味趣向を披露する、
絶好の機会を手に入れたということでもある。

そして、永世はそんな数年に1度あるかないかの機会を…
ずっと待っている男だったりするのである。

永世「…もしかして」
七 「きたきた」
中 「もしかして?」
永世「タイムマシンかも」

ここで話は個室の外へ。

店 「…何事か?」

七の他にも、
現実を理解できていない人間がもう1人いる。

店 「…何事か?」

そう。
ここ蛮臥廊の店主である。

厨房にて得盛りセットの肉を切りながら、
個室から出入りする人間を見ていた男。

48歳。
愛する妻と娘が1人。

炭火焼に。
そして、肉の鮮度に命をかける男。

その男の頭の中に…

とても美しい明朝体の、
クエスチョンマークが浮かんでいるのである。

肉なんか切ってる場合ではないのである。

みるみる鮮度が落ちていく肉のことすら、
目に入らないほどの立派なクエスチョン。

店 「何事か?」

口癖を呪文のように繰り返している。

頭の中ではつじつまをあわせようと、
さまざまな想像が…

店 「双子なのか? いやいや、よく来るお客さんだし。そんな話したことないな。したことない…」

ぶんぶんと首を振る。

店 「姉妹? いや、似すぎだろ。…いやいや、似すぎだろ」

自分で2度否定してみる。

店 「て、ことは… 何事か?」

ちょっと整理してみようとする。

店 「個室には男女3人いた。いた。」

自分で2度確認する。
自分のことが少し疑わしくなっているのかもしれない。

店 「男が出ていって、男が出ていって。…女が入った」

この女は、
最初の女と同じ顔をした女である。

店 「個室の中から『お断りよ!』という叫び声がして」

七イズム。

店 「女が出てくる。会釈される。会釈を返す。そしたら、男が戻ってきて。男が戻ってきて… 耳を澄ますと個室から女の声がしている」

店主の首が、
ぐいっと右に傾く。

店 「あの女は会釈して帰ったはず…なのに」

右耳が肩につきそうだ。
その前に首が折れてしまわないだろうか?

店 「何事か?」

でた、『何事か?』。

店 「どういうことだ? あれは誰だ? 何事か? 出ていかなかったのか? いや、いったわ。何事か? じゃあ、個室にいるのは? …服が違うか?」

肉を切る手は止まっている。

疑問は疑問のまま、
肉の鮮度だけが落ちていく。

店主は自分の頬を叩いてみた。

全く痛くない。

もう1度叩いてみた。

やっぱり痛くない。

店 「なんだ夢か」

店主は少しほっとした。

店 「夢じゃしょうがない。何事でもない。ああ、びっくりした」

なんの気なしに包丁の刃を触ってみる。

手入れされた包丁は、
店主の人差し指の皮をさっくりと切った。

店 「ほら、痛く… 痛い。いたーい」

皮の隙間から、
赤いものが溢れてくる。

店 「血が、血が…」

あわててキッチンペーパーをとる店主。

店 「痛い。ってことは夢じゃない。…あれ?」

もう1度、
頬を叩いてみる。

ちょっと強めに。

店 「痛い。 …俺め。さっきは加減してたのか」

無意識の自分への優しさに振り回され、
見なくてもよかった血を見る店主。

自分のバカさ加減のその向こう…

さらに美しく、
さらに大きくなっていく明朝体。

そして、
鮮度は落ちていく。


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


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Prologue 2/7



七 「…はい?」

聞かれたところで、
男たちはなんと答えたらよいのか解らない。

中 「…ん?」
永世「…まあ、会ってるっちゃ会ってるのかな。2人称? 違うな」
中 「違うね」

うっすらと、
バカな空気が浸食していく。

七 「そういうことじゃないのよ」
中 「違うらしい」
永世「ポエム? 違うね」
中 「違うね」

ちょっと濃い目に、
バカな空気が浸食していく。

七 「私。私に会ったの」

バカな空気に抗う七。

永世「精神世界的な?」
中 「違う… いや、間違ってないかも」

バカな空気は正解を導き出させない。

七 「それで、これをもらったの!」

3人、CD-R を見る。

中 「…何?」
永世「何のファイル?」
七 「…うまく説明できない」

七は頭をかきむしる。
男たちは顔を見合わせる。

中 「ゆっくりでいい。解るように言って」
七 「いやだ!」
中 「おお」
永世「ここででるか。七イズム」
七 「うそ。言う」
中 「まあ、いつでもいいけど」
七 「だから、中が電話しにいって。永世がトイレ行って。…そしたら、女が入ってきて」
中 「女?」
七 「どっかで見たことあるなーって。よく見る顔だなーって。あれ? 誰だっけ? 知り合いだっけ? 毎朝、この顔に口紅塗ってるなーって。…いや、私だ! って」

七は何もない宙を見ながら説明している。
カクカクと動く姿が操り人形のようだ。

中 「七なの?」
七 「だから言ってるじゃない!」

七の拳が、
中の肩口を捉える。

中 「うっ…」

悶絶する中。

永世「…ドッペルゲンガー」
中 「何?」
永世「だから、ドッペルゲンガーなのかなって」
中 「ドイツのサッカー選手?」
永世「違うわい。ドッペルゲンガー。自分の姿を第三者が違うところで見るとか。自分の目で、違う自分を見ることだよ」
中 「ベッケンバウアー」
永世「それ、サッカー選手だろ」
中 「…ん? それ、有名?」
永世「有名」
中 「ベッケンバウアー?」
永世「学習しないの?」
七 「ドンペリカイザー」
永世「お金持ちだこと。ドンペリの皇帝はかなり偉いだろうね」
中 「イッペンカイザー?」
永世「なれるならね。いっぺんでいいから皇帝になりたいもんですよ」
七 「ドンペリダレカー」
永世「おごって欲しいのか? ドンペリ、誰かーって。おごってくれる訳ないでしょ。高いんだから」
中 「ペリカンドコダー」
永世「動物園にて」
七 「カニカンサイダー」
永世「超不味そう」
中 「シンケンタイガー」
永世「逃げないと。食べられちゃう」
七 「えっと、えっと…」
永世「もういいわ!」
中 「…永世は難しいこと知ってるね」
永世「後半、関係ないだろ」
七 「で、何?」
永世「本当に知らないの? ドッペルゲンガー現象。もう1人の自分を見ると、死期が近いって言われてるんだ」
七 「四季? 劇団?」
永世「違うわい」
中 「難しい単語で混乱してるんだよ」
永世「簡単に言うと、自分のドッペルゲンガーを見た人はそのドッペルゲンガーによって殺されるという言い伝えがあるの」
中 「ほう」
七 「…私、生きてるよ」
中 「ほう」

バカな空気は、
人のやる気を根こそぎ奪う。

永世「ああああ。ドッペルゲンガーって言わなきゃよかった」
中 「…その、とんがり坊やーではなさそうだね」
永世「そろそろ怒るよ」

七、立ち上がる。

中 「何?」
七 「話題を取り返す!」
中 「ああ。ごめんごめん。永世が訳解んないこと言い出したから」
永世「はいはい。すいません」

七、CD-R を掲げる。

中 「七は CD を手に入れた」
永世「ゲームか?」
七 「私が私に言ったの。ここに私の3年後のことが入ってるって」
永世「3年後?」
七 「私が私に言ったの。『中を見なさい。そして、未来を変えなさい』って」
中 「未来?」
七 「だから、言ってやったわ。『お断りよ!』って」
永世「でた、七イズム」

中、七の額を触ってみる。

中 「熱はない」
永世「ほう」

熱じゃないということは…


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


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Prologue 1/7



誰かが言っていた。

今というヤツは、たった数秒のことらしい。
その前は過去で、その先は未来。

そういうことらしい。

でも、人間は今にしかいられない。

なぜなら、過去には戻れないし。
数秒後の未来は、そのときの自分にとっては今なのだから。

結局、今を生きている。

たった数秒の今。

そして、誰にも解らない。

未来がどうなるのか。
そこで自分がどうなっているのか。

もしかしたら、
世界はとんでもなく変わってしまうかもしれない…

もしかしたら、
自分がその変わってしまった世界の救世主なのかもしれない…

それは、誰にも解らない。


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


Prologue



炭火焼の店「番臥廊(バンガロー)」の個室。

テーブルの中央に火鉢がセットされ、
その上には網が敷かれている。

天井では換気扇がぐるぐる回っている。

女が座っている。
女の名は七(ナナ)。

七は呆然と座っている。

男が個室に入ってくる。
携帯を手に。

男の名は中(アタル)。
七の彼氏。

中 「…お前がしまったファイルの場所なんか知るか」
七 「あ?」
中 「課長。自分でしまったファイルの場所忘れたんだと。『見てないか?』だって」
七 「ああ」
中 「そんなことで、休日中の部下に電話してくんなって話だよ」

1人足りない。

中 「…あれ? 永世は?」
七 「トイレ」

七は呆然と座っている。
視線は定まらず、ちょっと口が開いている。

中 「…どうしたの?」
七 「…は?」
中 「何?」
七 「何が?」
中 「何で魂抜けてるの?」
七 「…え? ああ」
中 「ん?」

七は手に CD-R を持っている。
それに気づいた中。

中 「何それ?」
七 「…ん? …ああああ!!」
中 「ああああ!! って何? 恐いやん」
七 「持ってる」
中 「何? CD ?」
七 「データ」
中 「データ?」
七 「らしい」
中 「らしい?」
七 「ファイル」
中 「ファイル?」
七 「らしい」
中 「らしい? ずいぶん曖昧だな」

男が個室に入ってくる。
男の名は永世(エイセイ)。
七の弟。

永世「…狭いな」
中 「ん? …トイレ?」
永世「いや、世界」
中 「…そう」
永世「もう頼んだ?」
中 「まだ。…だよね?」
七 「…ん?」
中 「メニュー注文した?」
七 「…まだ」
永世「フワフワしてるな」
七 「ん?」
永世「ここにあらず」
中 「永世は決めたの?」
永世「まだ。でも、あれは頼んだんでしょ? 得盛りセット」
中 「うん」
永世「じゃあ、サラダとか…」

永世、メニューを見る。
七は相変わらず魂が抜けている。

中 「…七?」
七 「ん?」
中 「どうしたの?」
七 「…信じないと思うよ」
中 「何が?」
七 「言っても」
永世「何の話?」
中 「これ」

中、CD-R を指差す。

永世「何それ?」
七 「…ん? …ああああ!!」
永世「ああああ!! って何? 恐いやん」
七 「持ってる」
永世「何? CD ?」
七 「データ」
永世「データ?」
七 「らしい」
永世「らしい?」
七 「ファイル」
永世「ファイル?」
七 「らしい」
永世「らしい? ずいぶん曖昧だな」
七 「ああああ!!」
永世「ああああ!! って何?」
七 「デジャブ?」

七の目は、泳ぎまくっている。

中 「いいや。リピート」
七 「なんだ、リピートか」

古式泳法ぐらいには落ち着く。

永世「何? 全然、解らない」
中 「俺も解んない」
永世「…中の彼女だろ。この人」
中 「…永世の姉さんだろ。この人」
永世「そうだけど」
中 「そうだけど」

2人とも答えのない会話だと気づく。

中 「…どうしたの?」

七、水を飲む。
ちょっと口の端からこぼれたが構う様子などない。

七 「…驚かないでね」
中 「了解」
七 「信じてね」
永世「了解」
七 「私は、いたってまともだからね」
中 「了解」
永世「了解」
七 「…私」

その目はしっかりと開かれている。
曇りのない黒目。

中も永世も、真剣に聞いている。

七 「私に会った!」

天井では換気扇がぐるぐる回っている。
その音だけが個室に響いている。

中も永世も、
時間が止まったかのように動かない。

七 「…え?」

予想外の無音に耐え切れなかったのは、
その空気を生み出した張本人。

七 「…はい?」


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


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Note 1



Note とは、

Mug 管理人からのお知らせや報告。
その他、四方山話なんかしていこうかなーというモノです。

ということで、
月の裏側の連載から1週間くらいですかね。
たくさんの方々に読んでいただき、本当にありがとうございました。

並べ替えも終了しております。
今後は 1/7  から読んでいただけるかと。

それに伴い、
Mug の読み方等をまとめた Manual ページを作成しました。

楽しむ際の参考にしていただけたらと思います。

さて、次回ですが…

準備中です。

近いうちに、第1話だけでも公開できればと思っております。
もうしばらくお待ちください。


公開した際は、
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こちらもよろしくお願い致します。