Prologue 1/7



誰かが言っていた。

今というヤツは、たった数秒のことらしい。
その前は過去で、その先は未来。

そういうことらしい。

でも、人間は今にしかいられない。

なぜなら、過去には戻れないし。
数秒後の未来は、そのときの自分にとっては今なのだから。

結局、今を生きている。

たった数秒の今。

そして、誰にも解らない。

未来がどうなるのか。
そこで自分がどうなっているのか。

もしかしたら、
世界はとんでもなく変わってしまうかもしれない…

もしかしたら、
自分がその変わってしまった世界の救世主なのかもしれない…

それは、誰にも解らない。


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


Prologue



炭火焼の店「番臥廊(バンガロー)」の個室。

テーブルの中央に火鉢がセットされ、
その上には網が敷かれている。

天井では換気扇がぐるぐる回っている。

女が座っている。
女の名は七(ナナ)。

七は呆然と座っている。

男が個室に入ってくる。
携帯を手に。

男の名は中(アタル)。
七の彼氏。

中 「…お前がしまったファイルの場所なんか知るか」
七 「あ?」
中 「課長。自分でしまったファイルの場所忘れたんだと。『見てないか?』だって」
七 「ああ」
中 「そんなことで、休日中の部下に電話してくんなって話だよ」

1人足りない。

中 「…あれ? 永世は?」
七 「トイレ」

七は呆然と座っている。
視線は定まらず、ちょっと口が開いている。

中 「…どうしたの?」
七 「…は?」
中 「何?」
七 「何が?」
中 「何で魂抜けてるの?」
七 「…え? ああ」
中 「ん?」

七は手に CD-R を持っている。
それに気づいた中。

中 「何それ?」
七 「…ん? …ああああ!!」
中 「ああああ!! って何? 恐いやん」
七 「持ってる」
中 「何? CD ?」
七 「データ」
中 「データ?」
七 「らしい」
中 「らしい?」
七 「ファイル」
中 「ファイル?」
七 「らしい」
中 「らしい? ずいぶん曖昧だな」

男が個室に入ってくる。
男の名は永世(エイセイ)。
七の弟。

永世「…狭いな」
中 「ん? …トイレ?」
永世「いや、世界」
中 「…そう」
永世「もう頼んだ?」
中 「まだ。…だよね?」
七 「…ん?」
中 「メニュー注文した?」
七 「…まだ」
永世「フワフワしてるな」
七 「ん?」
永世「ここにあらず」
中 「永世は決めたの?」
永世「まだ。でも、あれは頼んだんでしょ? 得盛りセット」
中 「うん」
永世「じゃあ、サラダとか…」

永世、メニューを見る。
七は相変わらず魂が抜けている。

中 「…七?」
七 「ん?」
中 「どうしたの?」
七 「…信じないと思うよ」
中 「何が?」
七 「言っても」
永世「何の話?」
中 「これ」

中、CD-R を指差す。

永世「何それ?」
七 「…ん? …ああああ!!」
永世「ああああ!! って何? 恐いやん」
七 「持ってる」
永世「何? CD ?」
七 「データ」
永世「データ?」
七 「らしい」
永世「らしい?」
七 「ファイル」
永世「ファイル?」
七 「らしい」
永世「らしい? ずいぶん曖昧だな」
七 「ああああ!!」
永世「ああああ!! って何?」
七 「デジャブ?」

七の目は、泳ぎまくっている。

中 「いいや。リピート」
七 「なんだ、リピートか」

古式泳法ぐらいには落ち着く。

永世「何? 全然、解らない」
中 「俺も解んない」
永世「…中の彼女だろ。この人」
中 「…永世の姉さんだろ。この人」
永世「そうだけど」
中 「そうだけど」

2人とも答えのない会話だと気づく。

中 「…どうしたの?」

七、水を飲む。
ちょっと口の端からこぼれたが構う様子などない。

七 「…驚かないでね」
中 「了解」
七 「信じてね」
永世「了解」
七 「私は、いたってまともだからね」
中 「了解」
永世「了解」
七 「…私」

その目はしっかりと開かれている。
曇りのない黒目。

中も永世も、真剣に聞いている。

七 「私に会った!」

天井では換気扇がぐるぐる回っている。
その音だけが個室に響いている。

中も永世も、
時間が止まったかのように動かない。

七 「…え?」

予想外の無音に耐え切れなかったのは、
その空気を生み出した張本人。

七 「…はい?」


物語は始まらない。
これはまだプロローグ。


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Note 1



Note とは、

Mug 管理人からのお知らせや報告。
その他、四方山話なんかしていこうかなーというモノです。

ということで、
月の裏側の連載から1週間くらいですかね。
たくさんの方々に読んでいただき、本当にありがとうございました。

並べ替えも終了しております。
今後は 1/7  から読んでいただけるかと。

それに伴い、
Mug の読み方等をまとめた Manual ページを作成しました。

楽しむ際の参考にしていただけたらと思います。

さて、次回ですが…

準備中です。

近いうちに、第1話だけでも公開できればと思っております。
もうしばらくお待ちください。


公開した際は、
Google+Twitterfacebook などでお知らせいたします。

こちらもよろしくお願い致します。

月の裏側 1/7


 
ふるさとは遠くにあって思うものらしい。

弟「遠いから少しは優しくなれるのかもしれない」
母「自分の周りには、新たな些細なものが溢れているから」

どうでもよくなるのかも。

弟「余計なものが遠くに霞んで」
母「大事なものだけが見えるのかもしれない」

それでも、一旦近寄れば。

弟「些細なものがまた溢れて広がって」
母「きっとまた同じことを思う」

ふるさとは遠くにあって思うもの。

弟「変わっていくことから目を背けて」
母「いつか後悔することにも蓋をして」

見えない月の裏側も、
本当はそこにあることを私はちゃんと知っている。



月の裏側


それは『いつも』の繰り返し。

何度『うん』と『はーい』と『じゃあね』と『切るよ』を言えばいいのだろう。

公平にあほって伝えて。
そう言ったら、やっと笑って話が途切れた。

その隙間に、私はまた4つの単語を詰め込んで電話を切った。
心の奥底からため息が漏れる。
携帯の通話時間は1時間20分を過ぎている。

こっちから掛けた訳じゃないから、料金の心配はしなくていいのだけど。

それにしても、『いつも』話が長い。
私はほとんど聞いてただけ。
8割以上向こうのお喋り。

そして、話に内容が無い。

何の話をしてたのかすら、
覚えてないってどういうことだ?

記憶の糸を手繰ってみると…

そうだ。
隣の鮫島さん家のネコがいなくなったんだ。
それだってたいして珍しいことじゃない。
しょっちゅう。
ほとんど毎日。
1年に330日くらい。
で、何もなかったようにネコは帰ってくる。

ほとんどの人は、
それを『散歩』と呼ぶ。

散歩中のネコを探すほど、
ムダなことがあるのだろうか?

鮫島さん曰く、旦那さんが亡くなってからは、
ネコが唯一の家族とのことだ。
大事な大事な1人息子とのことだ。

それなのに、
ネコに名前をつけてない。

鮫島さんはネコを『ネコ』と呼ぶ。
『ネコ』はネコだと正論ぽく喋る。

意味が解らない。

その度に合ってない入れ歯がカクカクと揺れ、
他人を不安な気分にさせる。

『ネコ! ネコや!』と。
散歩中のネコを追う鮫島さんを、
1年に330日くらい見かける。

地元を離れて随分になるが、
未だに追いかけているようだ。

そのうち帰ってくるのに。

なぜか数年前から、
母さんもネコを見かけると捕まえようとしている。

ムダにムダを重ねている。
なぜかは聞かない。
聞いたって、さらにムダを重ねるだけだ。

ん? それがどうやったら1時間20分になる?

ネコの話なんて最初の何分かだけだ。
それに、私に聞いたところで解る訳もない。

何の話をした?
違う。
聞いてた?

記憶の糸を手繰ってみると。

公平か。
うん。公平だ。

弟「で? 姉ちゃんは元気にやってんの?」

母さんは無言で公平を見ている。

弟「なんか付いてる? 母ちゃん?」
母「あほ」
弟「なっ?」
母「『伝えろ』って。さやかが」
弟「それは伝えなくてもいい『伝えろ』だぞ」
母「…忘れた」
弟「は?」
母「元気なのか、聞くの忘れた」
弟「ボケた?」

母さんは手元にあったみかんを投げた。
公平は上手いことよけたが、はずみで柱に肩をぶつけた。
それを見て、母さんは満足そうに笑った。

弟「痛。…っていうか、何の為に電話かけたのよ?」
母「まあ、さやかも何にも言ってなかったし。聞かなかったし。病気なら病気っていうだろ?だから、まあ、なんだよ。またそのうち」
弟「いいのか? そのうちで。明日だろうが?」
母「大きなお荷物が、偉そうに母親に説教すんじゃねえよ!」

そういって、またみかんを投げる…フリをした。
みかんは投げなかったが、公平はまた柱にぶつかった。

弟「痛。…肩と …心と …拳が痛い」

それは『いつも』の繰り返し。

今と昔と未来の真ん中で。

私は知らないフリをする。


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